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世界遺産 熊野古道

大辺路街道 長井坂

大辺路街道 長井坂

 熊野古道大辺路で屈指の景観と往時のたたずまいを遺す長井坂は、国道42号沿いにある西浜バス停から東に入り、ゆるやかな坂を上ってJR紀勢本線と並行しながら和深川の里に至り、JRの双子山トンネル手前から坂越えが始まります。

 

 山の尾根筋に段築(だんちく)という、独特の土木技法が用いられています。また、道沿いにはほとんど手付かずの自然林が残されており、さくさくと落ち葉を踏みしめながら心地よい散策が楽しめます。

 

 茶屋段のところに、かつては熊野詣で賑わったことを偲ばせる道標や石段などがひっそりと残されています。道標には「みきハやまみち、ひだ里ハくまのみち」(右は山道、左は熊野道)と刻まれ、旧街道の名残をとどめています。

 幕末の国学者熊代繁里が「此坂もみちいとけはしく一里あまりがほど人家なし」と記しているとおり、現在も坂の終点のすさみ町見老津まで一軒の家もありません。ただ、西の上り坂、東の下り坂の勾配はたしかに急ですが、峠道は海の眺めがよく、勾配もゆるやかでほぼ平坦な道が続いています。

 ウバメガシなど海岸性常緑樹が覆う山の斜面の南側には、広大な太平洋の水平線と、本州最南端潮岬の半島が横たわっています。又、5月頃には古道沿いにミツバツツジの花が咲き花のトンネルとなります。

 

旅人は南紀の旅の道しるべとして、潮岬のまばゆさに目を細めながら眺めたことでしょう。

熊野古道とは

 熊野古道は、全国各地から「熊野三山」へと向かう参詣道の総称です。

平安時代、「神仏習合(古来から日本にある神への信仰と、仏教への信仰が融合した思想)」と「浄土信仰」の浸透により、熊野地方は朝廷や公家の信仰を集めるようになりました。これが"熊野詣"の興りです。

 熊野本宮大社の「家津御子大神(けつみこのおおかみ)」は来世を救済する阿弥陀如来、熊野速玉大社の「熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)」は過去世を救済する薬師如来、熊野那智大社の「熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)」は現世を救済し利益を司る「千手観音」の権現(仏・菩薩が人々を救済するため、仮の姿をとって現れること)とされ、また、那智山青岸渡寺は西国三十三ヵ所巡りの第一番札所として、熊野信仰は全国に広がりました。

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